ウクライナは元々ソ連、旧ソ連の中でウクライナは2番目に人口が多い国です。
旧ソ連だったウクライナはどうしても自由主義陣営に渡したくない、
侵攻してでも、ロシアの手中に収めたいのです。
ウクライナの首都キエフはロシアのルーツ
9世紀後半から13世紀半ばロシアがキエフ大公国「ルーシ」と呼ばれていたころ、ルーシの中心はこのキエフでした。ドニエプル河の川岸に栄えた、現在のウクライナの首都キエフがロシアのルーツなのです。
ロシアはウクライナを西側の軍事同盟NATOとの緩衝としてどうしても
ウクライナのNATO加盟を阻止したいのです。
ソ連の解体時にNATOに対抗していたワルシャワ条約機構は廃止されました。
アメリカはNATOは解体しないが拡大しないことを示唆しました。
しかしその後、東ヨーロッパ諸国は続々とNATOに加盟していきます。
ウクライナがNATOに加盟すると、西側の軍事同盟であるNATOと隣接するのが
ロシアにとって脅威なのです。
1991年にソ連崩壊とともにNATOに対抗していたワルシャワ条約機構は廃止されました。
ソ連はワルシャワ条約機構を廃止する際NATOも解体するべきだと主張しました。
西側諸国の代表であるアメリカはNATOは解体しないが今後拡大しない
方針を示唆しました。
ベーカー米国務長官が1990年「東方へは1インチたりとも」拡大しないとの
発言がありました。
発言があったのは事実ですが、文書として残してない口約束だったのです。
ロシアは過去の侵略された歴史がトラウマになっていて
他国に侵略されることに極度のおそれを抱いているのです。
13世紀ロシアはモンゴル帝国の東からの侵攻にあいました。
モンゴル軍は、ロシア各地を次々と征服し、死体の山を築きます。
そのうちウクライナ地方を中心にコサック騎兵が組織されモンゴル軍に対抗しました。
モンゴルの騎馬戦法を手本に、ヘアスタイルも頭髪の周囲は剃り、
中央に残った髪を編んで長く後ろに垂らす辮髪にして勇猛果敢に戦いました。
ロシアはウクライナのコサックの勇猛さに目を付け傭兵としてコサック達を利用しました。
エルマーク率いるコサック達がシベリアにまで進出し、後にロシア帝国が東方に拡大するきっかけとなりました。
フランスのナポレオン軍はモスクワを攻略したが、ロシア軍の焦土戦術に遭って退却、寒さとロシア軍・農民ゲリラに追撃されナポレオン軍は壊滅しました。
ロシア革命を経て共産主義国家となったソ連はナチスドイツに首都モスクワ前面まで
侵攻されたものの、英米を主力とする西側連合国とともに反撃に転じ、ベルリンの戦いでナチス・ドイツを敗北させました。
一方ウクライナは
共産党の過酷な政策から、ドイツ軍を当初「共産主義ロシアの圧制からの解放軍」と
歓迎して、ドイツ軍に志願したり共産主義者を引き渡すなど自ら進んでドイツ軍の支配に協力する住民も現れました。
その事が尾を引いてロシアがウクライナを現在でもナチス呼ばわりしている原因になっているのかもしれませんね。
第二次世界大戦において
ソ連(ロシア)は他国に比べて圧倒的に多くの戦死者を出しています
第二次世界大戦の戦死者数 | |
ソ連 | 2700万人 |
ドイツ | 700万人 |
ポーランド | 603万人 |
日本 | 300万人 |
フランス | 60万人 |
イタリア | 40万人 |
イギリス | 38万人 |
アメリカ | 29万人 |
BBC NEWS JAPNより
ジェイムズ・ランデイル、BBC外交担当編集委員は
ウクライナ侵攻問題の展望についてを記事にしています。
BBC解説での5つのシナリオ
・シナリオその1 「短期決戦」
・シナリオその2 「長期戦」
・シナリオその3 「欧州戦争」
・シナリオその4 「外交的解決」
・シナリオその5 「プーチン氏失脚」
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